「いつものとおり稽古場に通って、
当たり前のようにみんながいること。
それは誰かの努力があって、成り立っています。」
稽古の前後に、時折話すことです。
使わせて頂いている施設だって、
区民の税金で建てられ維持されているし
(その税金はお父さん・お母さんが働いて納めているし)、
管理してくださる職員の方がいて、
そして私たちが借りることができています。
忙しい朝に、予約に毎週通ってくださるお母さん方のご協力があって、
みんなはこうして通って来られます。
何かの災害があれば、
施設は避難所にもなります。
みんなが全員無事だったとしても、
空手をしている場合じゃない…ということなるんだよね。
そうすれば、仲良しの仲間とも会えなくなるね。
みんなが当たり前のようにしていることは、
当たり前ではないんだよ。
だから、一回一回の稽古を大事にしてください。
小さな子たちは、なんのことやら分からない。
経験則による想像力が必要だから。
何かを失ったことが無ければ分からない。
それが普通。
それはとても幸せなことで、
みんなが大事に育てられ、
大事に大事に与えられ続けている証拠。
だけどね。
ここは「空手」をする場所だから、
空手をしない人は来ないところです。
「楽しい」と思えるとしたら、
それが遊びなのか、空手なのか、
自分の心に聞いてみてください。
そして、遊ぶことが楽しくて来ているなら、
次からは来ないこと。
この稽古場の外で大きく羽を伸ばしてくれたら、
それでいいと思います。
みんなは自由に選べます。
やめるも続けるも、自分次第ですが、
何かに気付く必要はあります。
誰かに助言されて続ける必要もないし、
続けたからといって、とくにメリットもありません。
内申書が良くなるわけでもないしね。
上級生が超えるべきことの1つに
「飽きる」ということがあります。
その飽きるは、何に飽きているかというと、
空手に飽きているわけじゃないんだよ。
まだ空手が出来ていないから、
飽きてしまうんだ。
その「飽きる」は、
自分に飽きているということ。
自分と戦って負けているだけです。
どうやって超えていくのかも、
超えずに辞めていくのかも、
みんなは自由です。
空手は仕事ではありませんので、
縛られるものは熱意だけです。
それが無ければ、私自身も自由です。
いつまでも、あるといいとは思うけど、
永久に続くものも無いからね。
続いている間は、大事にしてね。
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